俳優・大杉漣さん「お別れの会・一般献花」に慎んで行ってまいりました。

2018年2月21日、急性心不全で急逝された俳優・大杉漣さん「お別れの会」に行ってきました。といっても関係者ではないので「一般献花」のためにファンブースへ。関係者が参列する会場付近は許可のない撮影は厳禁ですが、ファンブースでは撮影可能でした。様々な事情により献花に訪れることができなかった方のために、当日のファンブースの模様をお伝えします。(公開:2018年4月26日/更新:2022年4月22日)

大杉漣さん お別れの会 『さらば!ゴンタクレ』
日時:2018年4月14日(土)13:00〜15:00
場所:青山斎場(東京都青山葬儀所)

 

 

大杉漣(おおすぎ れん)
1951年9月27日、徳島県出身。本名は大杉孝。1974~88年まで「転形劇場」(劇作家・太田省吾氏が68年に旗揚げした劇団)に所属。映画『ソナチネ』で注目を受け、以降は北野武監督作品常連に。崔洋一監督作品『犬、走る DOG RACE』など数々の現場で実力を発揮し、1999年度の国内各映画賞の助演男優賞を多数受賞。テレビドラマにおいてもNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』などの多数の作品に出演。「300の顔を持つ男」の異名を持ち、主役を際立たせる名バイプレーヤーとして欠かせない存在。また、テレビのバラエティー番組にも活躍の場を広げ、「大杉漣の漣ぽっ」「ぐるぐるナインティナイン/ゴチになります!」「バイプレイヤーズ」に出演し、好評を博していた。2018年2月21日、急性心不全で急逝。
「大杉漣記念館 ohsugi ren official archive」☞ https://ohsugiren.com/

 

あなたはどの大杉漣さんを記憶しましたか?

2018年2月21日の夜、俳優・大杉漣さんの訃報に本当に驚きました。デマじゃないのかと思ったぐらいです。何故なら、ほんの数分前に「オロナミンC」(大塚製薬)のTV-CFを見たばかりでしたから。情報の真偽を確かめると途端に哀しくなってきました。
日本中の視聴者がそうであるように、お目にかかったことはなくても、家族じゃなくても、友達じゃなくてもあらゆるメディアを通して大杉漣さんはリアルな存在でした。

社内の「捜査ドラマ愛好会」(2人だけですが)では大杉漣さんは、ドラマ「緊急取調室」では「ホトケの善さん」だったり、「京都地検の女」では鶴丸あや検事(名取裕子)に振り回される検察事務官だったり、「相棒」では特命係廃止を狙う衣笠副総監だったり…。

そして、映画『シン・ゴジラ』オタクの私にとって、大杉漣さんは永遠に大河内総理として記憶に刻まれました。名シーンの一つがいつも心の中にあります。

「え、蒲田に!?」

DVD『シン・ゴジラ』を観るたびに、大杉漣さんはいつもそこに居ます。かなりセンシティブであることは自覚しつつも、やはり『シン・ゴジラ』オタクとしては大河内総理に最後の挨拶をしておきたい。この「お別れの会・一般献花」に行かなかったら後悔しそうな気がします。

そして仕事でも何でもなく、4月14日(土)ひとりで青山斎場に向かったのです。

「一般献花」に訪れた様々な業界の1000人

青山斎場の会場内で行われる「お別れの会」に参列できるのは案内状がある映画やテレビ業界などの関係者のみです。後日の発表では関係者は約700人が参列したとのこと。
一般のファンはまた別に入口があり、特設テントで「ファンブース」が設けてありました。等身大パネルに迎えられ、「の漣」をくぐると、献花台があり、たくさんのお花の中に大杉漣さんの笑顔がありました。

●仕事
大杉漣さんはどんな役も引き受けてくれる器の大きな俳優さん。学生監督作品にも手弁当で出演したり、作品の大小で選んだりせず、スタッフにも愛された人だったようです。最近はテレビのバラエティー番組にも出演し、活動の場がどんどん広がっていました。「一般献花」には、過去の出演作品で関わったことのある人たちも訪れていたと思われます。何故なら献花台には出演作の思い出の品も提供されていたからです。

●音楽
「音楽」の分野でも趣味の域を出た活動をしていたようです。いくつかのバンドを組んだり、ギターの弾き語りでオリジナルソングを歌い、ライブも行うシンガーソングライターとしての顔の広さもありました。同郷で交流も深かったロックバンド「チャットモンチー」や有名アーティストたちもを追悼メッセージを出しています。

●ペット
「愛犬家」「愛猫家」としても知られていた大杉漣さん。同好の士たちからも追悼されていました。また、盲導犬への応援もしていたようで、当日は盲導犬とそのユーザーの方々の姿も見えました。

●サッカー
大杉漣さんといえば、実は熱狂的なサッカー好きというのは有名で、国内リーグから海外リーグにまで精通しているだけでなく、プライベートサッカーチーム「鰯クラブ」(プロデューサーや映画監督、大物俳優など100名が在席)の発起人。背番号はキャプテンナンバー「10」。月1〜2回は必ず試合に出場するほど熱中。そして、出身地である徳島県をホームタウンとするJリーグ「徳島ヴォルティス」(2018年現在、J2)の熱狂的なファン。前身である「大塚FC」時代から熱心に応援し、招待券や特別席を受け取ることはなく、あくまでプライベートで応援し続けたようです。献花台には愛用の背番号「10」がついたユニフォームが輝いていました。

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ファンブースの特設テントを出ると、遠くに「お別れの会」会場入口があります。ワイドショーやスポーツ新聞の取材陣の向こうに喪服姿の関係者が行き交いますが、遠すぎて誰が誰だか全く確認できません。見えないながらもその方向を向き、一般献花の「一般人」はただただ立っていました。スマホを向けると警備員の方から撮影禁止の旨、注意を受けるのです。
※なので、本記事に掲載されているのは、撮影可能なエリアでの写真です。

「お別れの会」が始まると、大きなスピーカーを通し会場内の音声が我々にも届いてきました。俳優としてのお仕事を編集したVTRが流れているらしく、いろんな役の台詞が聞こえ、歌声も流れ、弔辞も聞こえてきました。

会が始まる前から「お別れの会」が終わるまで3時間あまり、みんな強い風が吹くなか震えながら立ちっぱなし(椅子も用意されていました)。ふと振り返ると、背後には500人以上の人が会場の方向を向いて立っていました。寒くても誰も帰ろうとしません。

後日の公式発表では一般献花に訪れた人は約1000人。その「一般人」たちも実は何らかの大杉漣「関係者」だったのだと思い至りました。

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大杉漣さんをテレビで観ない日はありませんでした。それはまるでサブリミナル効果のようです。
いつも居る人、いつも何気なく見ている人、居て当然だと思っている人、これからもずっと普通に居てくれると思い込んでる人…大杉漣さんに限らず、身近に、また遠くにそういった人は誰しも存在するはずです。しかし、そんな「当たり前」は当たり前じゃないんだなと考えます。大切な日々だと意識したいものです。

改めまして、大杉漣さんのご冥福をお祈り致します。


▲一般献花に訪れたファンたちにも配られた素敵な写真『最後に写した父』を撮影された息子さんの大杉隼平さんはプロの写真家。また、2018年秋に公開予定の映画『教誨師』(きょうかいし)のチラシも。大杉漣さん初のプロデュース作品であり、最後の主演映画となりました。詳しくは、下記URLの映画公式サイトでご覧ください。
映画『教誨師』公式サイト:https://kyoukaishi-movie.com/
2018年10月6日(土)より東京・有楽町スバル座などでロードショー!

●撮影・文・編集= 魚住陽向(フリー編集者、小説家