名刺交換に企画書作成!社会性のあるラッパー
——マチーデフさんはパフォーマンスする一方、専門学校でラップ講師を始めたのはいつ頃ですか?
マチーデフ 2011年4月から東京アナウンス学院で講師をつとめてます。実は僕の母校でもあるんですが、カリキュラムが自由選択科目で本当に幅広くて、「ラップという授業があっても自然かも」とふと思って、企画書を作って。その頃はあまりパワポなんて使えなくて、内容や文言は自分で考えて、体裁を整えるのは知人に手伝ってもらいました。それで当時の担任に「やらせてください」って持ち込んだら、企画が通って、ラップ講師をするようになったんです。
▲2017年2月19日、ワークショップでのマチーデフ講師(写真はスライドできます)●写真提供:川口市立映像・情報メディアセンター[メディアセブン]
マチーデフ 企画力や行動力があるというより…僕は単純に食べられるようになりたかったんです。当時は「自分ができること」と「何がどうお金を生んでいくか」みたいなことをすごく考えていた時期で。それに僕、研究癖や分析癖があるというか…「なんでこれが面白いんだろう」という原因を探るところがあって。ラップに関しても「なんでラップはこんなに気持ちいいんだろうな」ってロジカルに解析してブログに書いてました。文章にすると自然にロジカルになっちゃうんですけど。自分のブログのアクセス解析もしたり。どうやら「ラップのことを知りたい人からアクセス数があるな」「これ、需要あるのかな」って何となく思ってたんです。「仕事にできないかな」というのと母校の選択授業を思い出して、そういう点と点とが繋がって企画書を持ち込んだら、やらせてもらえることになったというわけです。
マチーデフ 実は僕、専門学校の講師を始めた頃に、それまで続けていたアルバイトをクビになったんですよ。自分のやりたい音楽の仕事を優先するがゆえにどんどんそっちが活発になっていくとアルバイトがおろそかになってしまって。でも元々、そのバイトを最後のバイトにしようと決めていたところもあったんですよ。東日本大震災の直後ぐらいだったんですが、人生を考えるいろんな転換期という感じもあり、僕はもう新しいバイトを探すのをやめようと。それまでのバイト収入は貯金していたんで、それをちょっとずつ切り崩しながら、実家にも世話になりながら。講師の仕事もそんなに高収入ではないけど、固定収入のカタチがあったからバイトしないで生きてこれたんだと思います。結局、ちゃんと食えるようになったのは2015年の途中くらいからだと思います。
▲親子で参加できる楽しいワークショップ(写真はスライドできます)●写真提供:川口市立映像・情報メディアセンター[メディアセブン]
マチーデフ 2012年から2014年は本当にお金のない生活を送っていましたね。その中から地道に1つ1つの仕事を積み重ねていって、本当に緩やかな上昇をして、昨今のラップ・ブームの恩恵もあって、2016年は何とかいい感じに仕事がいただけたという現状なんですよ。
——「音楽1本で食っていこう!」という先鞭をつけたところがよかったんじゃないですかね。
マチーデフ 本当に2012年から2014年は、人とのつながりを作ったり、お金にはならない仕事もやっていました。その中で、蒔いていたタネが一昨年、昨年と少しずつ芽が出てきた。何でもそうですけど、必ず昔やった何かと何かが結びついて、仕事になったりしていると思うんです。でも、その空白の期間に生きてこられたのは完全に実家が近くにあったからっていう(笑)。それしかないですね。
▲ラップはたのしいね(写真はスライドできます)●写真提供:川口市立映像・情報メディアセンター[メディアセブン]
マチーデフ ただ漠然と「売れたい」とか「食えるようになりたい」と思っていても、実際にどうやってお金が自分のところに入ってきているのか、その道筋が見えないとお金って入って来ないんだなってすごく分かりましたね。僕も当時は模索して見えないなりにも専門学校で講師を始めると、お金の流れがちょっとずつ見えてくる。先ほどの話でいうと、クライアント→広告代理店→制作会社→僕というお金の流れ。それで、どこの需要に応えるとお金がおりてくるのかということが実際に見えると、ちゃんとお金は入ってくる。そういうイメージって大事だなと思いましたね。
マチーデフ それに人と人のつながりってやっぱり大切だなと思いますね。「早朝フェス」というイベントではテーマソング作ったり、MCやったりしてるんですけど、参加しているお客さんにはいろんなタイプ、いろんな職業の人がいるんですよ。そういう人達に会えば会うほど世の中って多種多様だなと。いろんなタイプの人がいるからこそ、自分の知らない世界の人に触れられる。それによって自分が客観的にどう見られているか分かるのはよりいいことだと思います。
マチーデフ それに僕は生まれ育った地元にこだわるところがあるんです。音楽、特にラップをやっているとNYに行こうとか世界に出ようとか考える人もいますが、僕はあんまりそういうのは考えていなくて。むしろ東京にこだわっていたりするんです。それは地元だから。生まれ育ったところだから…やっぱり地元で名をあげたい。僕にとってその意識がすごく強いと思います。
——そういう気持ちが自治体PRのお仕事に繋がってるような気がしますね。
マチーデフ そうかもしれないですね。僕ができることと世の中が望んでいることが結びついた感じですかね。まぁ、それがブームかもしれないですが(笑)。まず、一番最初にラップが盛り上がったのは90年代の半ばぐらいなんです。「さんピンCAMP」(Wikipedia「さんピンCAMP」より)というイベントが日比谷野外音楽堂であって、僕もちょうどその頃にハマった世代。僕が今36歳で、その時にラップという音楽を好きになった人たちが今まさに30代ぐらいなんです。僕はラッパーになったけど、別の道でラップを聴きながら社会人になった人や学生時代にラップを聞いて育った世代というのが集中している。ちょうど30代というのは社会を動かし始める年代でもあったりするじゃないですか。「社会人ラップ選手権」とかでいろんな職種の人がラップやったり、テレビCMのラップ企画が増えたりという再ブームは最初のブームに繋がっているんじゃないですかね。
マチーデフ ラップ好きな社会人でも仕事でラップ企画を通すとなると、以前はなかなか難しかった。社会的に流行ってるかどうか、どうしてもクライアントは気にします。元々、クリエイターはラップ好きな人が多い印象ですね。アンテナが高い人やラップの面白さを分かってる人。で、プレゼンで案をいくつか出す中の1つにラップ企画は結構入っていたと思うんです。でも、数年前まではクライアントがラップ以外の企画を選んでいたわけです。ラップ企画は通らない状況だった。それが「フリースタイルダンジョン」という深夜番組が始まったことなどによってラップブームが来て、ラップ企画をプレゼンで出した時に最終的に選ばれることが多くなったんだと思います。
職業「ラップ講師」として教えたのはのべ300人以上!
——ラップ講師としての活動実績は?
マチーデフ ラップを教える相手は専門学校の生徒もいるし、CMやPR動画制作の時もあるし、テレビのバラエティ番組の出演タレントや素人さんだったり。番組の一企画でラップの先生として番組出演し、アイドルにラップを教えたり。そういうのを含め、今までラップを教えた人数はのべで300人は超えてるんじゃないかな(←!!)。
——ラッパーはたくさんいるけど、他人に教えられるかといったらそれはまた別の話ですよね。
マチーデフ そこに関しては経験値もあるから「ぜひ使ってください」という感じ(笑)はあります。「ラップを教える」ということに関しては自信を持っています。この先どうなるか分からないのでちょっと怖いですが…。でも、この春からまた別の専門学校でもラップを教えることになりました。それでいうと日本の中で、専門学校2校で定期的に教えるラップ講師は多分僕しかいないと思うので、もっともっとラップの楽しさを伝えられる気がします。
▲オトナはやっぱり「韻」を踏みたいよね(写真はスライドできます)●写真提供:川口市立映像・情報メディアセンター[メディアセブン]
——「他人に教える」ことって自分のスキルも上がると思うんですが?
マチーデフ そうですね。音楽って基本的には感覚的に理解しているものでいいと思うんです。音楽というのは理論で作るというよりはもっと感覚的なもの。僕も実際に音楽作る時は感覚的に作ります。でも、他人に説明する時は感覚では伝えられないじゃないですか。それを理論化しないといけない。そういう意味では自分が感覚的にやっていたことを理論化することによって、感覚的に理解していたことをもう一度、客観的に理解することができる。だから、「教える」ことによって自分もレベルアップしているんだろうなとは思います。
マチーデフ 保育園でラップを教えたこともあります。子どもにはラップの面白さやリズムの楽しさを教えます。絶対にその方が入りやすいし、子どもは吸収が早い。実は子どもはまだ「韻を踏む」という意味が分からない。「韻を踏む」という言葉遊びの面白さは多分、小学校高学年以降なんじゃないかな。リズムは子どもの年齢問わず、未就学児でも「みんな、僕のマネしてみて」と、いろんなリズムで遊ぶことができる。だからリズムをまずは教えます。下は3歳から上は80代まで幅広くラップの楽しさを教えてますね(笑)。
「ラップという音楽はめちゃくちゃ受け皿がデカいんです」
マチーデフ ラップって「怖い人がやってる」イメージがあったと思うんですが、昔からそういう音楽だったかというとそうではなく、ラッパーには昔から普通の人もいっぱいいた。でも、単純に、「怖い人がやる音楽」というより「怖い人でもできる音楽」ということだと思っています。要はラップとかヒップホップという音楽は受け皿がめちゃくちゃデカいんです。音楽の素養がなくても始められる音楽。例えば、学校の1クラスには真面目な人もいれば不良もいて可愛い子もいて面白い子もいて…というふうに構成されている。実はその教室と割合的には同じで、ラッパーにも真面目な人もいれば不良みたいな人もいて。その中で不良って目立つんですよね。だから、ただ単にラップの世界でも怖い人は目立ってるというそれだけの現象だと思うんです。目立つ人だけが目に入っていたけど、今となってはクラス全体が見えるようになった。昔から真面目な人もいた世界ですが、最近は真面目な人たちにもスポットが当たるようになったんですね。
マチーデフ 音楽的な話でいうと…僕はラップの歌唱法に特化して教えることが多いんです。ラップとかヒップホップという音楽は発祥した文化的・歴史的背景と密接な関係にあるがゆえに「そういう文化・歴史的な部分は教えなくていいのか」という論争があるんです。でも、その部分に関してはラップの歌唱法や楽しさを知った人があとで自分で調べてくれると僕は思っていて。人によってはヒップホップというワードには、思想的なことが絡んでくると思うんです。でも、人によってその価値観はバラバラだったりボンヤリとしていたりする。でも、ラップする気持ち良さや楽しさは意外と万国共通。誰でも共通認識ができる部分だと僕は思っています。なるべく、そのおいしい部分絞り出して教える。それで興味を持ってくれた人が、ゆくゆくはヒップホップの歴史や文化までたどり着いてくれればいいなという気持ちで教えています。
——今後も楽しいラップ企画を楽しみにしています。今日は興味深いお話ありがとうございました。
▲ラップの楽しさ知っちゃった!(写真はスライドできます)●写真提供:川口市立映像・情報メディアセンター[メディアセブン]
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実は彼のことはお笑い芸人(ピン)をしていた頃から知っていました。私は勝手に「彼はもう売れている人だ」と勘違いしていたので、今回のインタビューで食えない頃の話に驚いたり、クリエイター/パフォーマーとしての仕事の仕方に感動したり…。各メディアで話題の自治体PR動画や下町商店街のラップ企画がとても楽しいのでその話を聞こうと思ったら、ラップ指導の話から思わぬ話になりました。
▲教わったことを勇気を持ってラップ発表!(写真はスライドできます)●写真提供:川口市立映像・情報メディアセンター[メディアセブン]
彼は食えない時期は「公募ガイド」をチェックしながら投稿して、落選していたそうです。種まき時期にはお金にならない仕事もあったようです。でも、決してくさらずに、いただいた仕事には100%を求められれば120%…いえ、200%で応えたといいます。
やりたい仕事を実現させることは大切ですが、その生活を持続させることもまた重要なこと。やみくもに熱く前進するよりも落ち着いて見回してみると全体が見えてくる。今回は大いに勉強になりました。今度、彼にラップも教えてもらいたいと考えています。マチーデフ先生、よろしくね!
●文・編集=魚住陽向(フリー編集者、小説家)
●撮影・編集=大山勇一